2014年三陸巡礼…【その1】 [自転車ツーリング]
3年も経ってしまいましたが…2014年のGWに5/3~5の2泊3日(+1日)で行ってきた、三陸巡礼の旅の記録を載せておこうと思います。
復興進む被災地を訪ねてと、東北の三陸海岸を走ってきました。
初日は宮城県の塩竃から石巻、女川と回って気仙沼で宿泊。二日目は陸前高田や釜石を経由して宮古まで。三日目は田老や久慈を経由して八戸まで…の、三日間で450kmほど。未曾有の被害となった東日本大震災から3年、復興進む東北の三陸沿岸を、自転車漕ぎながら自分の目で見てきました。
【小さな島が点在する、日本三景松島】
2年前に、埼玉の草加から2日かけて、当時鉄道が復旧していた松島までMTBで自走していたので、続けて松島から…と思ってたけど、仙台駅での乗り継ぎをミスって、乗った電車が東塩釜駅止まり。なので、今回の旅は東松島駅からスタートとなります。駅前でロードバイクを組み立て、まずは松島方面に向けて海岸に沿って走り始めます。
松島までは一度走った道でもあるので、スイスイと走って…と思いきや、松島海岸駅に着いたとたんに一度目のパンク。この先を思うと少々不安になりながらも、さくっとパンク修理を済ませてさらに東へと向かいます。。。
【スタートの東松島駅】
【日本三景、松島を眺めながら…】
【前回のゴール地点、松島海岸駅に到着】
【松島には、だんだんと観光客が戻ってきてるみたい】
松島から東へ進み、震災で津波の被害が大きかった石巻に到着。海岸近くの平野部には…人々で賑わう市街地があったはずのところに、人影も建物もありません。これらが全て、津波に押し流されてしまったものだと考えると、胸が詰まる思いがします。。。その中の一角で、子供の日の鯉のぼりとともに「がんばろう石巻」「復興するぞ」の文字が。人々の姿は見えないけれど、復興に向けた力強い想いが伝わってきますね。
【ここから過去の浸水区間】
【ここには街が広がっていたはずなのに。。。】
【全てが津波に押し流されてしまった石巻で、鯉のぼりがそよぐ一角】
【「がんばろう石巻」「復興するぞ」】
【日和大橋を越えて女川方面へ】
【ここまで盛土を。。。】
さらに東へ進み、石巻線の終着駅、女川へ。終着…といっても、駅舎は津波で失われてしまって石巻線も運休中。駅周辺ではあちこちに重機がいて、震災復興事業が進められているようです。今では駅舎も再建されて石巻線も復旧していると聞きますが、どのような姿の街にになっているのか…また訪れてみたいですね。
【さらに海沿いを走って…】
【鉄道も運休中の女川駅周辺】
【進む震災復興事業】
女川から海岸線に沿って進度を北に変え、軽くアップダウンを繰り返して…市境を越えて再び石巻市に。北上川の河口近くには、遡上してきた津波により大きな犠牲が出てしまった大川小学校がありました。すぐ近くの裏山を見上げると、何ともやるせない気持ちがこみ上げてきます…。
…と、時を忘れて佇んでしまったけれど、時刻はもう15時過ぎ。この日はまだ半分、あと70km以上も行程が残っているので、献花台と慰霊碑に手を合わせて、北上川を渡って先へと進むことにします。。。
【いつもは静かな漁村風景】
【児童の8割以上が犠牲になってしまった大川小学校】
【北上川の畔に建つ慰霊碑】
【北上川を越えて…】
【北上川沿いの道(向かい風が辛い。。。)】
北上川を渡り、北に進むと…南三陸町。最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けた女性職員が犠牲になった防災庁舎が骨組みを残して建っていて、津波の被害大きさを物語っています。。。
【お祭りの準備かな?】
【進む高台移転】
【え?モアイ?】
【運休中の気仙沼線は、バスのBRTで仮復旧中】
【震災では避難者を受け入れていた、南三陸のホテル観洋】
【建物は残っているけれど。。。】
【「命がけのアナウンス」南三陸町防災庁舎】
その後も海岸沿いに走り続け…石巻から南三陸、そして宿を確保してあった気仙沼へ。ただ、復興で資材を積んだ大型車が行き来しているせいか、国道の路面も荒れ気味で…気仙沼の真ん中あたり、階上付近で日も暮れて雨がパラついてきたところにこの日4回目のパンク。予備チューブとパッチも使い切ってしまっていて、この旅もここまでか…と考えが頭をよぎったところ、目の前に大きなホームセンターが。閉店間際に慌てて駆け込んで一般車用のパンク修理セットを購入、駐車場の明かりでパンク修理を済ませて21時過ぎになんとか宿に到着。夕食の時間は終わってしまっていたので、カップ麵でささっと食事を済ませて風呂で汗を流してそのまま就寝。。。zzz
【暑さのあまり、ガリガリ君で補給!】
【やっと気仙沼市へ突入!】
この日のルートはこちら↓
【その2に続く】
復興進む被災地を訪ねてと、東北の三陸海岸を走ってきました。
初日は宮城県の塩竃から石巻、女川と回って気仙沼で宿泊。二日目は陸前高田や釜石を経由して宮古まで。三日目は田老や久慈を経由して八戸まで…の、三日間で450kmほど。未曾有の被害となった東日本大震災から3年、復興進む東北の三陸沿岸を、自転車漕ぎながら自分の目で見てきました。
【小さな島が点在する、日本三景松島】
2年前に、埼玉の草加から2日かけて、当時鉄道が復旧していた松島までMTBで自走していたので、続けて松島から…と思ってたけど、仙台駅での乗り継ぎをミスって、乗った電車が東塩釜駅止まり。なので、今回の旅は東松島駅からスタートとなります。駅前でロードバイクを組み立て、まずは松島方面に向けて海岸に沿って走り始めます。
松島までは一度走った道でもあるので、スイスイと走って…と思いきや、松島海岸駅に着いたとたんに一度目のパンク。この先を思うと少々不安になりながらも、さくっとパンク修理を済ませてさらに東へと向かいます。。。
【スタートの東松島駅】
【日本三景、松島を眺めながら…】
【前回のゴール地点、松島海岸駅に到着】
【松島には、だんだんと観光客が戻ってきてるみたい】
松島から東へ進み、震災で津波の被害が大きかった石巻に到着。海岸近くの平野部には…人々で賑わう市街地があったはずのところに、人影も建物もありません。これらが全て、津波に押し流されてしまったものだと考えると、胸が詰まる思いがします。。。その中の一角で、子供の日の鯉のぼりとともに「がんばろう石巻」「復興するぞ」の文字が。人々の姿は見えないけれど、復興に向けた力強い想いが伝わってきますね。
【ここから過去の浸水区間】
【ここには街が広がっていたはずなのに。。。】
【全てが津波に押し流されてしまった石巻で、鯉のぼりがそよぐ一角】
【「がんばろう石巻」「復興するぞ」】
【日和大橋を越えて女川方面へ】
【ここまで盛土を。。。】
さらに東へ進み、石巻線の終着駅、女川へ。終着…といっても、駅舎は津波で失われてしまって石巻線も運休中。駅周辺ではあちこちに重機がいて、震災復興事業が進められているようです。今では駅舎も再建されて石巻線も復旧していると聞きますが、どのような姿の街にになっているのか…また訪れてみたいですね。
【さらに海沿いを走って…】
【鉄道も運休中の女川駅周辺】
【進む震災復興事業】
女川から海岸線に沿って進度を北に変え、軽くアップダウンを繰り返して…市境を越えて再び石巻市に。北上川の河口近くには、遡上してきた津波により大きな犠牲が出てしまった大川小学校がありました。すぐ近くの裏山を見上げると、何ともやるせない気持ちがこみ上げてきます…。
…と、時を忘れて佇んでしまったけれど、時刻はもう15時過ぎ。この日はまだ半分、あと70km以上も行程が残っているので、献花台と慰霊碑に手を合わせて、北上川を渡って先へと進むことにします。。。
【いつもは静かな漁村風景】
【児童の8割以上が犠牲になってしまった大川小学校】
【北上川の畔に建つ慰霊碑】
【北上川を越えて…】
【北上川沿いの道(向かい風が辛い。。。)】
北上川を渡り、北に進むと…南三陸町。最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けた女性職員が犠牲になった防災庁舎が骨組みを残して建っていて、津波の被害大きさを物語っています。。。
【お祭りの準備かな?】
【進む高台移転】
【え?モアイ?】
【運休中の気仙沼線は、バスのBRTで仮復旧中】
【震災では避難者を受け入れていた、南三陸のホテル観洋】
【建物は残っているけれど。。。】
【「命がけのアナウンス」南三陸町防災庁舎】
その後も海岸沿いに走り続け…石巻から南三陸、そして宿を確保してあった気仙沼へ。ただ、復興で資材を積んだ大型車が行き来しているせいか、国道の路面も荒れ気味で…気仙沼の真ん中あたり、階上付近で日も暮れて雨がパラついてきたところにこの日4回目のパンク。予備チューブとパッチも使い切ってしまっていて、この旅もここまでか…と考えが頭をよぎったところ、目の前に大きなホームセンターが。閉店間際に慌てて駆け込んで一般車用のパンク修理セットを購入、駐車場の明かりでパンク修理を済ませて21時過ぎになんとか宿に到着。夕食の時間は終わってしまっていたので、カップ麵でささっと食事を済ませて風呂で汗を流してそのまま就寝。。。zzz
【暑さのあまり、ガリガリ君で補給!】
【やっと気仙沼市へ突入!】
この日のルートはこちら↓
【その2に続く】
2017-05-05 23:02
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